emergent call record
事件記録簿 / Jichi Med Univ(JAPAN)
炎天下の 河原滑落
現場 思川 サイクリングロード(歩道)河原
時間 2020年 14:00 真夏日
・発見1回目
炎天下真夏日、思川(鬼怒川支流)の河原のサイクリングロード。
土手の両脇は枯草によっておおわれて、かなり急な土手になっている。
いつものように自転車運動してると、土手の上の歩道で、
うつぶせで歩道でねている老人男性を発見。85才くらいか。付近には簡易の杖が落ちている。
声をかけると、「うぅうう」といい、立ち上がろうにも力が入らない様子。
会話が不明瞭でろれつが回ってない。
左上下肢に広い運動麻痺があるが、杖をついていたことをみると、
以前の脳梗塞発作後遺症とも思える。ろれつも以前からかも。
「大丈夫ですか。以前から歩くのはお悪いんですか?
いつもの散歩で転んで起きられないんですか?」ときくと、うなづいている。
もとの歩行障害のうえ、炎天下での熱中症もあり、転倒したのかも。
大きな傷もなく、肩を貸して立ち上がってもらう。とはいえ、ぼくも足が悪いので、
かなり時間がかかった。人を助け起こすのも、練習が必要だ。昔の病棟での経験を思い出していた。
もう大丈夫というジェスチャーをするが、不安定な歩行で、また転びそう。
僕は往路だったので、
「あとでまたきますからね」といってその場を離れた。
・発見2回目
なんとなく予想通りで、復路でもどるとまた転倒していた。
というか、転倒のあと、土手を5メーターほど滑落し、うつぶせで枯草に埋もれている。
枯草というのは、さわってみると、炎天下ではやけどしそうなほど熱い。
そんなところに埋もれていては、健常者でも大変なのに、80後半では衰弱するだろう。
なんかの歌の歌詞できいた、「枯草のベッド」ってウソじゃん、って思った。
あまりに土手が急で、足が悪い僕はどうやっても近づけない。本人がもがくと、さらに、ずり落ちてる。
声をかけると、さきほどと意識レベルは変わらない様子だが、体力はさらに落ちている。
「これって放っておいたら死んじゃうよなあ」と直感できた。(ほとんどそんな現場はない)。
僕はまず、救急車を呼び救助が一定必要な状況であることを説明した。
とはいえ、何かできることはないかと思っていると、同じように運動している年配の人が二人立ち止まってくれた。
ただし、二人とも腰やらが悪いとか。腰痛対策で運動してるので、ぼくと同じ人種。
ちなみに、その時に、僕らが「手をかしてください」と声をかけた、若い自転車ライダーはガン無視。
で、結局、僕らでかなり無理をしつつ、滑落した老人を引き上げた。
滑落した人を引き上げるのは相当大変だ。体重の軽い老人でも。
老人を木陰に座らせる。おでこと、肘にある挫傷を飲料水であらう。
また、手持ちの飲料水(つねに新品も持ってる)をわたしてのんでもらう。
だんだんと、会話が戻ってきたので、一過性脳虚血もあったのかも。
さらに、通りがかりの高齢老人から、「ああ、**さんじゃねーの」といって、
知りあいだとわかる。いつもはもうすこししっかりした会話・歩行らしい。
処置が全部終わって落ち着いてから、救急隊と警察が現着。
救急搬送されたので、補液点滴ぐらいはしてもらったのかも。
後日、ちかくの場所で、ベンチすわってる滑落した老人をみかけた。
すっかり忘れてるようで、僕が手を振ってもなんのことかわからない様子だった。
「ま、これでよかったかな。」とおもった。
べつに、すっごい誰でも長生きをしてくれとか、そういうのが美徳とは思わない。
灼熱の枯草はあまりに不愉快だし、若者でも老人でも、同じように対応をしたつもり。
・なにはなくても水
このことがあってから、ぼくはどんな運動のときにもよけいな水を持つことにしてる。
脱水・熱中症、擦過傷、虫さされ・動物咬創、全部初期治療は水だから。余分な布もあるといい。
半袖短パン+携帯だけで、河原にいる人、山や川で運動してる人は頭がお花畑と思う。
でも、そういう人は現実たくさんいるんで、そのひとの分も僕がいつもリュックにもってるんだろう。
・警察の視点
ここで問題。この件で警察にとってもっとも大事なことはなにか。
考え。。
考え。。。
。。
こたえ。
「誰かにおされて落ちたかどうか。」だ。
警察官は繰り返し、「自分で落ちたんですか?」、「押される気配はなかったですか?」ときく。
本人が、「誰もおされてない」という意思を明確にすると、その旨を調書にかき、
再確認して帰っていった。この時点での、「事件性の有無」は、その後の処理フローに
おおきな違いがある。押されたとなれば、傷害事件だし、「刑事さん」がそのごの
調査をすることになる。自分で落ちたとなれば、ケースは閉じられる。
それこそが、もっとも警察にとっての関心。
その老人が、家が近くにあるかとか、迎えがあるかとか、
今後、また散歩できるか、つえを変えるべきか、なんてのは、
警察も病院も、感知しない。全部家族と本人次第だ。
・通りがかりの無関心=現場で必要なら自分も最善を尽くすという意気込み
自分は博愛側の人だから、現場で人を見捨てないに違いない、という主張をする人もいる。
今回のガン無視ライダーも、「気づかなかったから」と言い訳をすれば、この博愛側に入れてもらえるのだろう。
実際は、
困ったひとはいないかいつも見渡す
必要がなかろうが、なにか感じたら、例外なく立ち止まって引き返す
何があるかわらないので、過剰な対処グッズをいつも持ち歩く
シュミレーションや練習・訓練・調査をしてる
じゃないと本当に現場では無意味。博愛でもなんでもない。
そのために、インフラとして救急警察消防があるという意見もある。
そういう人は、税金も献金もたくさんしてくれればいい。
ただ、かれらもプロじゃない。救急隊はケガには触らない。何もしない。
医者にひきつぐのが仕事だから。
日本は地雷もうまってないし、テロもない。でも、地震はおきる。転ぶ人はいる。
べつに、自分が正解とは思わないけど、僕はもうすこし動ける人間になりたいと思ってる。
救助用のベストとロープがあれば、樹木を支えにして、引き上げは自力でできたのか。
たぶん、無理だったなあ。
東京消防庁の山岳救助訓練画像。
正しいとされてる方法をみると1人の救助に5人から10人が必要らしい。
実際にこういったマニュアル通りの運用がされてるのかちょっと疑問。あくまでも訓練画像かな。
とはいえ、体の弱い僕一人であげられないのは間違いなさそう。